おとがめ




身体中に巣食う感覚が消えない。厭になる。経てども経てども巣食う救う掬う。夢中になって夕日を眺めていたら最早夕日ですらなかった。私の視界の先はいつも鏡のような窓の先。飛んでいたかった死んでいたかった否それすら忘れていた。いつだって指を咥えて後の祭りである。咥える指すらも削ぎ落としてしまえばいいものを。好きなら愛せばいいし嫌いならとっとと殺せばいい。あゝ人間といふものはどうしてかふもめんどうくさひのか。ああ、ああ、と烏が鳴く。鳴く。一度見たらもう死ぬと思え。二度見たら、三度見たら、四度、五度、ああ、なんて脅迫。先の先の先からこぼれている滴がやたら生温くて、そんなものでしか確認できないのだ。生と死なんていうものはそんなものだ。きっと私たちには思いも及ばないところで全ては進行している。考えるだけ無駄で、著すだけ痴がましいのである。明言できぬのは生きているからか、生きていたからかも判らぬまま何度も何度も死んでゆく。ゆくったらゆくのである。例外なんてひとつもない。逝くったら逝くのである。天か地か地か天か知らないが自分が崇拝する先々へ、取り敢えず信じてみるのである。相変わらず窓の外しか眺めない私の眼球は、そろそろ化粧に疲れたらしく、しぱしぱと自己主張する。叙情。好きなのである。好いてる故の博愛利己主義、白と黒の刺激に目が痛む。擦る。ああ、もっとちゃんと見ておけばよかったのにとまた擦る。私は私にしか成りえない。辛いね。これじゃあまるで小学生の夏休みの宿題である。遡れば遡るほど詰まる記憶には一片の親さも見当たらない。どこからどうしてしまったのか、それすらもう答えは無い。つまり、解けない。
おとがめなし、だとよ。



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