泣き虫の話





また泣かせてしまった。

こうなっては、暫くは手が付けられない。四方八方手を尽くしてはみたが、これといって有効な手段が無い。どれもその場凌ぎなのである。

初めは、甘いものを与えていた。チョコレート、ケーキ、クッキー……与え始めて少しの間は、それで泣き止んでくれていた。しかし時間が経つにつれ、どうやら飽きてしまったらしい。いまは与えたところで見向きもしなくなってしまった。

その次は、おもちゃを与えた。動く人形や動物を模したぬいぐるみ、音の鳴る絵本、などなど。しかしこちらも、暫く経つと飽きてしまったようだ。というよりこの方法に関しては、途中から子ども扱いをするなと叱られてしまった。

単純に抱きかかえて、あやそうとしてもみた。が、こちらは最初から暴れられた。抱きかかえられるのがお気に召さなかったらしい。

子ども扱いをするなと叱られたから、大人にやるように愛を囁いてもみた。逆効果だった。暴れに暴れて、手が付けられなくなってしまったのだ。

仕方がない。溜息を吐き、頭を掻く。泣かせたままにしておくのは近所迷惑だろうが、仕方がないのだ。気の済むまで泣かせておいて、疲れ果てて眠りに落ちるのを待つ。至った最善は此処だった。

仕方がないという言葉は、大変に便利なものだと思う。自分は、この言葉に幾度も助けられている。どの言い訳にも使えて、幅が広く、全てを打ち切ってしまう。まるで呪文のようで、本当に、便利な言葉だ。

この子を預かることになったときも、仕方がないのだと腹を括ったものだ。他人を生かせるほどの人間ではないのだが、他に逃げ場がなかったのだ。正に、仕方がない。

出会ってから、預かってから、もう何年経ったのかは数えていない。初めて見たときに比べれば、この子はだいぶん大人しくなった。毎日暴れて発作のように泣いていたのが、このところは月に数回だ。しかし、一度泣かれると暫くは何をしても無駄なのである。嵐が過ぎるのを待つかの如く、自分は、ただぼんやりと泣き止むのを待つのだった。 

何にそんなに泣くのだ、と、問うたことがある。
発作のように出てくるこの子の泣くという動作には、あまり前触れがない。大きく感情が揺れたから泣いている、というわけではないらしい。悲しくて泣く、だとか、悔しくて泣く、だとか、そういう場面はついぞ見たことがない。先刻まで機嫌良く過ごしていても、泣くときは泣くのである。予測がつかない。だからこそ厄介で、困難だ。

因みに、その問いに対する返答は
「泣かせているのはお前だ、でもわからないのなら黙っていろ」
とのことだったので、自分はもう閉口するより仕方がなかった。

また泣かせてしまってから、どれくらい時間が経っただろうか。明るかったはずの窓が暗くなり、部屋の光を反射している。どれだけ暴れても、どれだけ泣いても、不思議なことにこの子は、疲れて眠るときは必ず自分のところへ来て甘えるのだ。不思議でならない。泣かせているのが自分なのだとしたら、泣かなくても済むように距離を取れば済む話なのではないのか?と。

これも、問うたことがある。自分が泣かせているということは、自分と居るのは辛いのではないのかと。では余所へ行ってしまったほうが、その方が善いのではないのか、と。

口をぽかんと開け、目をまあるくした顔に見つめられること十数秒。その次に認識したものは、長い長い溜息だった。

その溜息が終わったあと、お前は何もわかっていない、とでも言いたげに首を横に振り、そしてその場を立ち去ってしまった。

行き場のない気持ちが残ったが、本人が不快で無いのなら、こちらではどうしようもない。これこそ、仕方がない。

この子は自分にとって何にあたるのか、と訊かれることもしばしばあるが、正直なところ、わからない。可愛いとは思う。愛しいとも思う。守らねばならないと思う。しかし家族ではない。恋人や友人でもない。わからないのだ。そもそも、この子は恐らく、自分に何か与えられることを望んではいないように思う。ただの推量でしかないから、実際はわからないが。

すやすやと寝息を立てている間だけは、天使のようにも見える。泣く心配も、泣かれる心配もないこの時間が、きっとお互いにとって最良の幸福なのだろう。自分から離れまいとする身体をトントンとあやし、さてどうしたものかと思考を巡らせる。心の底から安心した風な顔で眠るさまはたいそう可愛らしくて良いのだが、如何せん自分は動けないのだ。はて、はて。

考えても仕方がない。自分も少し眠ることにしよう。寝て起きたら、少し。次の日には、もう少し。少しずつでも、この子の泣く時間が減っていけばいいのだが。あとどれだけかかることやら。



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